ANO・ANO(アノアノ)/下森真澄・宮村裕子(JICC出版局(のちの宝島社))

ANO・ANO 30万部ぐらい売れた

村松の仕事歴らしい仕事歴は、3年弱ほど在籍した「月刊宝島」編集部に始まる。当時の「宝島」は、植草甚一氏や片岡義男氏の影響下も離れた、方向性のはっきりしない売れない雑誌であった。編集部に入って最初に任された企画がこれであった。
マスミとユーコという2人の女子大生を使って毎月10ページ作れというのである。タイトルは僕。アンアンとノンノを合わせて「アノアノ」。このネーミングには10億円の価値がある、と電通の人が言ったらしいが、うーむ、その価値はどこの虚空にあるのか。10万円でもいいから現金でほしかった。
最初だったこともあり、この連載の編集は丁寧にやった。
打ち合わせを2時間くらいかけて毎月2回やった。上がってきた原稿も多いときは半分くらいボツや書き直しにしていた。内容にめりはりをつけるために、エッセイ、モノローグ、インタビュー、対談、座談会、書簡体、アンケート、小説と記事ごとに形式を変えた。
アノアノは30万部売れて女子大生ブームの嚆矢となり、「オールナイトフジ」なんて番組が人気になった。若い人は知らないと思うが、女子高生の前は女子大生がブームだったのである。
まあ、僕はその火付け役というわけ。

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