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『屈折する編集者村松の上昇と下降 そして火星から来た著者の群れ』 |
●意識編
◇文章とは
文章というものは、自分の子どものようであっても、他人の目に触れるときには、もはや独立した存在です。
だから、書いたら一度突き放さないといけません。
ときどき文章に過剰な自負心を持っていて、ちょっと批判されるとひぇーっと飛び上がってしまうタイプの人がいますが、こういう人は文章がどこかバランスが悪い事が多いようです。一人で発表する場もなく文章を書きためてる人とかに多いですね。
そういう人の文章に絶対傑作がないとはいいきれませんが、とても稀だと思います。やはり文章は人に読んでもらってなんぼです。
ステージでいえば、舞台度胸のようなものでしょうか。自分のいいところも悪いところも全部見えてしまうかもしれない、それでもいい、と等身大の自分とつきあうところから、文章ははじまります。
人に読ませる文章を書くには、文章がうまくなりたい、という意志と同時に、その裏には「ダメならまた次をかけばいいや」、という軽いノリも必要です。やはりある程度、量を書かないと質的にも安定してきません。
◇自分のなかの読者
ヌルい原稿を書く人には、読者はお腹を空かしたワニのように飢えていて、どんな原稿でも喜んで読んでくれるという楽観があるように感じられます。
僕は採用PRの仕事を何年かしていて、こういう楽観はドブに捨てました。採用PRというのは、大学生の卒業時に一人に何十冊、何百冊と届く企業の求人パンフです。
この読者像を僕は、
大量の印刷物、文字にうんざりしている。
楽に読みたい。ややこしいことは読みたくない。
自分の得になる情報、ためになる情報は読みたい。
自分に関係ない情報は読みたくない。
必要な情報だけを早く探して読みたい。
情報に対するセンスはいい。
知識、常識レベルは低い。
うざいとすぐに読むのをやめる。
人たちととらえていました。
たとえば、「知識、常識レベルは低い」とはどういうことかというと、実際、知識レベルの高い学生はいるわけですが、そちらのレベルの書き方をすれば、こぼれる読者がたくさんでます。読者を限定しないためには、こんなことは当然知っているだろう、という垣根をなるべく低くする必要があります。
網は広く打っておいてから絞るほうがいいということです。
上記の読者像は、ひどく怠惰で気むずかしい人間のような気がするかもしれませんが、ようするにとくに読書好きでない普通の人ということです。
こういう人を自分の頭の中にモニターとして置いておくと、書くことはむずかしくなりますが、大きく読者の気持ちを外すことはなくなります。
読者を選ぶ、というような言い方は、とかく自分に対する言い訳になりやすいので、アマチュアの人はしないほうがいいです。
プロのライターは自分の書きたいことより、書かなければならないこと、を仕事にしています。ライターとは、基本的に下請け業者であり、作家やエッセイストとは性質が違います。
◇ターゲット
僕の説明した自分のなかの読者とは、ターゲットではありません。
ターゲットより一段階かみ砕いた状態です。
僕自身が、ふだん、わりと自動的に、感覚的にとらえてやっているので、説明がわかりにくかったかもしれません。
前回書いた文章でいえば、いわゆるターゲットは、すべて卒業を一年後くらいに控えた学生です。ただターゲットというのは、いわば自分の外にある客観データなので、それを書くことに役立てるためには、自分の頭の中、ないしはココロの中で噛み砕いて、具体的な読者像へと落とし込む必要があります。
具体的には、前回はいっしょくたにしてしまいましたが、読者像は内容的には
1 読者としての熱意、読解力
2 関心のあるネタ、テーマ
という2つの領域にわけて考えたほうがいいようです。
1の熱意は、たとえば、文芸春秋のような分厚い雑誌を買う人の場合、かなり高いといってもいい。ちょっと面白さの立ち上がりが遅くても、内容が濃ければ最後まで読んでもらえると期待できます。
しかし、無料で送りつける広告の冊子などの場合、熱量は非常に低い。だから、もう表紙のコピーから、これを読むことはあなたにとって得なのだ、と訴えなくてはいけない。
で、前回の主旨は、この熱量の低い人たちも逃がさないように気を配って書いたほうがいい、ということでした。
「この表現はちょっとわかりにくいけど、まあいいや」、などという態度をとると、そこで離れていってしまう読者がいるということです。
また読解力の問題も大きい。固有名詞や、やや専門用語的なもの、特殊な表現など、「知ってるだろう」、「わかるだろう」、と思うと、そこがネックになります。僕の場合、注などつけずに、さりげなく知らない人でも意味がわかるような言い回しにすることが多い。
そういう意味で、熱意も読解力も読者を最低ランクに見積もっておいたほうが自己満足の文章になりにくい、ということです。
そして、具体的に読者の立場に身をおいて、いろいろ想像します。
僕の場合、採用広告については、何百冊という印刷物を送りつけられた学生にとって、いちばん読みたくない文章とはどんなものだろう、ということは、いつも基本的におさえていました。
2のネタについては、すべての人に興味があることを書くのは不可能です。逆に狭く内容を限定することで、読者に対してはっきりした吸引力を持ち始めます。
◇オリジナリティを
ムラのない表現力のある文章を書く人が増えている。
しかし、中途半端にうまい、というのは役に立たないのである。
たとえば、音楽の比喩でいうと、アマチュアバンドとしてうまい、というのは、プロはあまり評価しない。うまい人ならもっとすごいスタジオミュージシャンが掃いて捨てるほどいるからだ。
世界は、新人には違う輝きを求めている。
うまいなら、プロ並みにうまくないと使えないし、そうでなければ、オリジナリティが勝負だ。
うまい、ということは普通ほめ言葉だが、それだけ既製の価値、既製の尺度にはまってしまっている、ということだとも言える。
これからはそういう自分の位置確認をしてみてほしい。文章のインサイドワークというのは、その部分にある。オリジナリティを磨き上げるということだ。
君は既製の価値尺度をパンクさせてくれ。もっとパンクを。もっとオリジナリティを(昔のロック雑誌風にしてみました)。
◇うまくても
小さくまとまったうまさを壊して、乗り越えてください。
うまさを捨てて、自分自身の個性、オリジナリティ、テーマとは何かを意識してください。
それは心にふとひっかかるようなこと。ひょっとしたら、あなたがあまり書きたくないこと、触れたくないことの近くに生息しています。
それは立派な置物のようにどこかの床の間に置いてあるのではなくて、きっとささいなつまらないもののようなふりをして、あなたのそばにいます。
そいつをとっつかまえるコツを覚えれば、あなたはどんな内容の文章でも自由自在に書くことができるようになるでしょう。
◇書き出し
昔、大宅壮一は雑誌記事は「最初の3行でつかめ」と言った。
それが古典。
でも僕は書き出しに趣向を凝らすより、「なるべく早く本論に入る」、ということにウェィトを置いているかな。
もう最初の1行から入りたい。
これだけ読み物が氾濫してしまうとね。
読者はなるべく余計な文字は読みたくないんだ、というとてもネガティブな認識から書き出すんだよね。
◇読ませる
他人に読ませるときは、それを読んでどう感じてもらいたいか、という狙いがなくてはいけません。
笑わせるのか、泣かせるのか、考えさせるのか、興奮させるのか、とにかく読んだ人間が刺激をうけて、心を動かして、その刺激を快く感じるという作用が生まれなくてはいけない。
そうでないと、文章を通じて赤の他人とつながっていくという力は生まれません。
◇赤裸々さ
種田山頭火という俳人がいるんだけど、この人は生涯孤独に苦しみながらも、我が強くて一人でしか居られないという矛盾した人で、そういう自分の心情を赤裸々に日記と俳句に残しています。
誰にでもそういう面はあるのだけれど、その赤裸々さが人の心を打つのです。機会があったら読んでみてください。
◇詩を書くなら
詩のような形で書く、抽象的に書くということを、多くの人はなんとなく気分で書けるから、というような理由で選んでいるような気がする。
詩を書くなら、詩でしか表現できないことを表現していただきたい。それは手近な感情ではなく、もっと予感的な、もっと世の中に認められていない、名前のつけられていない、かけがえのない感情や思想です。さびしい、という一言ですむなら別に詩を書かなくても、さびしいと言えばいいのです。
詩が適当にごまかしの利く形式だと思って使う人がいると、ますます詩の読者が減ります。
◇美意識的にいうと
美意識的にいうと、詩を書くときは、ナマな作者というのは、どうせなら言葉の陰にきれいに身を隠してほしい。尻尾が見えるくらいなら散文を書いていただきたい。
◇小説
小説という虚構を何を目的として作り出そうとしているのか、ということをときどきふりかえってみる必要がある。
◇感覚
感覚を育てるためには、日常的に文章を書いていくことが大切です。大量に書くことに耐えられる感覚なら本物です。
◇動機
書く動機がはっきりしていないと、読者も読む動機にかけるのです。
◇正直な自分を書く
文章というモノは書かなかった思惑まで出てしまうものなので、多くの人に通用する文章にしようと思えば、結局正直な自分を書いていくしかないのですよ。
◇著者のポジションを明かす
インターネットでは、匿名の発言が許されている場であることから、自分の立場を曖昧にして書く人が多いけれど、文章の世界ではそれははっきりマイナスです。
文章というのは、対象を表現することを通じて、自分自身をもまた表現してしまう性質のものなので、そこを逃げているといつまでも表現の芯が生まれてきません。
文章上達をめざす方はこのことを忘れずに!
◇基本
自分に厳しく、読者に甘く。これが基本です。
◇文章表現
表現って自由なのです。
弟子 「師よ、文章を今までまじめに勉強して来ましたが、結局つまるところ、じつは『何やってもいい』ということなのですね」
師 「左様。弟子よ、免許皆伝じゃ」
うまいもへたも、売れるも売れないもかりそめの基準にすぎないのですよ。
でも、その基準があるからそれをめぐって遊べるのです。
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